運命の人と出会える可能性
僕は口数が少ない方で、話すことが苦手だ。
苦手意識が強いこともあり、その意識がさらに会話する機会を減らしていく。
それがさらに会話を苦手にさせていくという負のスパイラルに巻き込まれてしまうのである。
そんな僕には妻がいる。
パートナーを作るにはコミュニケーションが必要なのはいうまでもないが、こんな僕でも作ることができた。
結婚するまでなのだから、これは運命の流れにうまく乗っかれただけなのかもしれないが。
まあ、運が良かったとも言える。
僕よりもイケメンはたくさんいるし、頭がいい人もたくさんいる、金を稼いでる人もたくさんいるだろう。
そんな中でも自分が一緒にいて幸せだなと思える結婚ができたというのはなんとも幸運なことだろうか。
漫画や小説などで物語を読んでいると、ジャンルにもよるが男女の恋愛模様が描かれる作品がある。
一番ベタなものでいうと、登校途中に道を曲がったところでぶつかってしまう出会いのパターンがある。
パンをくわえて遅刻の為に急いでいて確認をおろそかにしてしまう為に起こる事象である。
ぶつかった相手は転校生であり、運命の人というのは黄金パターンで、これは誰の目から見ても明らかな出会い方である。
実はよくネタにされるこの出会いのシーン。元ネタが存在するとかしないとか。少女漫画における伝説の出会いシーンは本当に伝説だったという。こんなことある訳ないだろーと笑いのネタにされることが多く、パロディで使われるシーンが実は本当に存在しなかったそうな。
閑話休題。
物語であれば、あらかた誰が運命の人で幸せな結末を迎えるのかという想像がつきやすい。
しかしながら現実はそうはいかない。
第三者の視点から見れば明らかなことでも、自分の視点になるとほとんどの事が見えなくなる。
これは物語を俯瞰してみているだけのことではなく、現実世界においても同じ事が言えるのだ。
側から見ればA君はBさんの事が好きだけど、BさんはC君の事が好きという事がバレバレという事がある。グループ内での恋愛事情について、自分が気付いていなくても、周りから見ればわかりやすかったりすることはよくあることだ。
A君はそんなつもりなくても、Bさんに対しての対応が他に比べて違うということは結構わかりやすかったりするのである。
この場合、A君の恋は残念なことに上手くいくことはないだろう。
場合によってはC君がA君のことが好きで、BさんがC君に振られるというカタストロフィックイベントが発生し、逆転ホームランを飛ばす事ができるかもしれないが。
仮に事が上手く運び、A君がBさんとお付き合いすることになったとしよう。
運命の人の定義が、生涯を共に過ごす伴侶のことと仮定するならば、その可能性は0.0000034%と言われている。
ピーター・バッカスさんがドレイクの方程式を応用し計算したそうだ。
宝くじの1等に当選する確率が0.000005%と言われているから、なんと運命の人と出会う可能性の方が低いという計算結果になる。
これはA君とBさんが運命の人である可能性は極めて低い。
残念ながら。しかし、ゼロではない。
もしかしたら運命の人の可能性もある。
今自分が付き合っている人が運命の人だったとしたら、それはとても幸運なことである。
一緒にいて幸せならそれは素晴らしいことだ。
その幸せが得られる確率は、宝くじに当たるよりも確率は低いのだから。
おわり