これからの理想のおとうさんを予想する
今週のお題「おとうさん」
当然ながら僕には父親がいる。
尊敬出来る父親である。
いろんなおとうさん
僕にはあまり父親に遊んでもらったという記憶がない。
いつも仕事で忙しく、家にいないことが多かったばかりか、自宅にいても仕事ばかりしていたからだ。
僕には兄弟がいたし、一緒に遊ぶ友人がいたので寂しいと思うことはなかった。
それに、僕はかなりのゲーマーだったのでゲームをしているだけでも楽しかった。
これは逆説的ではあるが、父親に遊んでもらうことがなかったために、一人で遊ぶことに慣れることができたのかもしれないが。
しかしながら、父親のことが好きだし、嫌いと思ったことは一度もない。
優しいおとうさんというのがうちの父親だ。
子供が悪さをすると、「お父さんが帰ったら叱ってもらいますからね」というセリフをよく聞く。
主に「磯野家」であるのだが。
「ばかもーん!!」と家がブルブル震えるほどの怒号が鳴り響き、カツオが縮み上がっているシーンが描かれる。
子供を叱り、躾けるのは父親であるなと思わせられる印象的なシーンだ。
父親とは絶対的な存在で、敬うべき家長であるというスタンスがそこにはあった。
何か時代を感じさせられるものがそこにはある。
僕の印象とすれば、どちらかというと母親のほうが口うるさい印象がある。
僕の親は母親のほうが口うるさかった。
マナーについても、勉強についても、よく怒られていた。
僕の家庭に近いなと思うのは「野原家」の感じ。
ひろしはあまり怒らない代わりに、みさえは口うるさくしんのすけを叱っている。
子供と接する時間の多い母親が、きちんと子供の躾けをしているのだ。
叱る方法も口頭で注意するだけでなく、ゲンコツや「ぐりぐり」をしてキツく躾けているときもある。
そういえば僕もよく叩かれたなぁなんて。
クレヨンしんちゃんの作品において、みさえからしょっちゅう体罰を受けてたけど、ひろしから受けてる描写はなかったような。
僕も父親から体罰を受けたことが無い。記憶がない。
このころの父親は背中で語ることが多い。
ちなみに、ひろしは理想の父親像と取り上げられることが多い。
最近の父親
このように、マンガのキャラクターがその時代の父親像を写しているという事が見える。
最近の漫画を見ていると、「子供が父親を追いかける」という関係が描かれることがある。
偉大な父親の背中を追っかけるというような。
例えば、ハンターハンターのジン・フリークス。
主人公であるゴンの父親である。
ゴンが幼い頃、ジンが幼馴染のミトに預けて以来ずっと会うことが無かった。
しかし、ゴンはジンに会いたい一心でハンター試験に挑み、少しずつ近づいていく。
結果的にジンに会うことが出来る
ジンは様々な偉業を達成し、様々な人から尊敬される。
僕自身、ジンは魅力的はキャラクターだと感じている。
破天荒で、自由気まま。しかし曲がって事を嫌う性格。
そして、ゴンの事を大切に思っている。
こんな父親ってかっこいいよな。
理想の父親像。
恐れられる父親から、親しまれる父親へ。
そしてこれからは憧れられる父親があるべき父親像なのかと思わせられる。
僕も憧れられる父親を目指そう。
おわり
雨の日は勉強がはかどるぞ
今週のお題「雨の日の楽しみ方」
雨が降る休日は好きだ。
「しとしと」という雨音の中に紛れ込む、「ぴちゃん」と庇から垂れる音のリズムがとても心地よい。
雨の日はなぜか気持ちが落ち着くのだ。
雨の休日は出かけるだろうか?
雨が降ると出かける気も失せるというものだ。
傘を持たなくてはいけないため、荷物が増える。服は濡れる。お気に入りの靴は泥だらけになってしまう。
雨が降っているから、出かける人が少ないだろうと予想した人が、逆張りしていつも大行列ができている人気店に出かけるくらいだろう。
僕は出かけない派である。
逆に言えば、出かけなくてもいい。とも言える。
「家にいる」という選択肢しか残らないため、堂々と家に居られるのだ。
さて、せっかく家にいるなら何をしようか。そこでまた悩むわけだ。
テレビを見てもいいし、ゲームをしてもいい、映画を見るのもいいし、撮り溜めたドラマを見るのもいいだろう。
まず、「勉強をしよう」という人はいないと推測する。
勉強なんてつまんないし、なんで休日にまでやらなきゃいけないんだ、と。
僕もそう思う時期があった。勉強なんてつまんないし、やっても意味がない。
しかし、雨の日の勉強にはブースト効果があることが証明されたのだ。
せっかく勉強するなら、効率のいい勉強をしたいとは思わんかね?
雨のリズムはすごい
雨の降っている日の方が、記憶力が高まるという実験結果が発表されたのだ。
研究チームは、気分が物事の細部についての記憶にどのような影響を与えるかを調べる実験を行った。店舗のカウンターにおもちゃの大砲、赤いバスのおもちゃ、豚の貯金箱などの小物10個を置き、買い物客が店舗から出てきたときに、カウンターに何があったかを質問した。
研究チームを率いるジョセフ・フォーガス(Joseph Forgas)氏によると、荘厳なクラッシック音楽がかかり、寒くて風が強く雨が降っている場合のほうが、太陽の輝くよい天気のときよりも、記憶力が3倍よかったという。
また雨の日に買い物をした人のほうが、カウンターに置かれていなかった小物が存在していたように勘違いする確率が低かった。
雨の日は3倍記憶力が高まるらしい。3倍だと・・・!
記憶の成果、例えるなら英単語を1日あたりに覚えられる数が10個だとしたら、単純計算で30個覚えられる。
勉強の成果を単純に計算することは難しいところはあるが。
なんでも効率重視の現代社会において、これほどお得なことはない。
別に雨の日でなくてもいいといえばいい
とりあえずのきっかけとして、雨の日の勉強ははかどるという話であったが、本当に雨が降っている必要はない。
雨音の効果に着目した人が、色々と音源を作ってくれているから、それを聞けば同じような効果が期待できるだろう。
それでも、実際に雨が降っている休日は勉強がはかどる。
雨音+選択肢の遮断ということで、相乗効果が生まれるのだ。
雨が降ってる休日に、30分でもいいので勉強してみるといいのではないだろうか。
一つのきっかけとして。
【リラックス脳波】 美しい雨の音 3時間 【ヒーリング】 Sound of Rain 3 Hours
おわり
鬼滅の刃の魅力は主題歌にあるとみた
以前、今期の注目アニメとして「鬼滅の刃」を紹介した。
この作品はジャンプコミックの連載中の同名の作品が原作であり、アニメ化する以前から注目を集める作品であった。
ストーリーの展開はいうまでもなく、良い。物語は、主人公の炭治郎がどん底の状態から始まる。紛れもないどん底だ。
家族を失い、唯一の生き残りである妹の禰豆子は忌むべき存在である「鬼」となっていた。もう何も無いと思わせる状況から、禰豆子を「人間にもどす」という使命感だけを胸に前に進むことを決意する。
そこから厳しい修行を積み、試練を乗り越え、ようやくスタートラインに立つ。物語的には2年の年月があっという間に経ってしまうのだけれど。
物語の雰囲気からして、とても明るい雰囲気とは言い難い。
普通の人であれば、絶望に押しつぶされてしまい、生きる希望すら失うだろう。
物語中にも、恋人を失い絶望する民間人が出てくる。
それでも、炭治郎は希望を失わず、禰豆子を人間に戻すという理由だけで前に進む。
これはとても前向きな物語なのである。
アニメでは、主題歌をLiSAさんが歌っている。
なんとOP・ED共にだ。
OP「紅蓮華」
LiSA 『紅蓮華』 -MUSiC CLiP YouTube EDIT ver.-
ED「from the edge」
TVアニメ「鬼滅の刃」ED エンディングテーマ「from the edge」FictionJunction feat. LiSA
やっぱり上手い。
今や大人気の彼女であり、あらゆる方面から引っ張りの彼女であるが、デビューするまでに何度も挫折を経験していた。
岐阜県出身の彼女は、音楽の仕事がしたくてオーディションを受けに東京に上京する。
オーディションは無事に合格。しかし、デビューするまでのオーディションは一つだけではなかった。業界の入り口は狭かったのである。
ここで諦めていたら、この才能は埋もれたままになっていたかもしれない。
彼女は最後のチャンスにかけ、再び東京に攻め込むのであった。
そして、チャンスをものにすることとなる。
でまあ、彼女の苦労話はここで終わるわけではなく、少し続きがあって。
2014年1月3日に開催された最初の日本武道館ライブ。
彼女は体調不良によりライブを中止することになるのだ。
せっかくここまで来たのに。これで全て終わりだ。
そんなことを思ったに違いない。
絶望である。
しかし、今の彼女はさらなる人気を博している。
ピンチに負けず、再び立ち上がったのだ。
さて、ここまで来て、気がつくことはないだろうか。
炭治郎とLiSAの境遇って似てるでは無いか、と。
二人とも、途轍もない挫折を味わっている。
それでも諦めずに、一歩一歩歩みを進めている。
鬼滅の刃の主題歌の担当に、LiSAを起用したことは大正解だったと僕は思う。
彼女であれば炭治郎の境遇がわかる事ができ、歌に思いを乗せるから。
おわり
【赤いたぬき】勝者の食べ物を食べた
敗者は勝者に従わなければならない。
それは勝負の世界における絶対的な理である。
世紀の戦いの末生まれたもの
赤いたぬきを食べただろうか?
「赤いきつね軍」と「緑のたぬき軍」が己の名誉をかけて戦った「第一次東洋水産戦争」の果てに生まれたものである。
赤いきつねではなく、たぬき。
うどんの上にかき揚げが載っているハイブリッドである。
むしろ、赤にタヌキが取り込まれた形だろうか。
「やはりそうなったか」
僕はそう思った。
この戦いの本質は、うどんが美味いか、そばが美味いか。
そこにあることは明確であった。
カップうどんとカップそばを食べ比べれば、うどんに軍配が上がるのは明らか。
しかし、僕の予想に反した結果となった。
投票の結果は、赤いきつね軍がわずかに優勢にて勝利となったのだ。
相手の良いところを取り込む
わずかとはいえ、戦いに勝利した赤いきつね軍。
「たぬき」を取り込むことで究極のカップうどんへと進化を遂げるのである。
うどん&かき揚げ&お揚げ。
なんと、赤い「たぬき」にも関わらず、お揚げが入っているのである。
これは完璧な布陣。死角など無いのだ。
歴史的に見ても、戦った相手の良いところを取り込み更なる躍進を遂げる例は多い。
超有名な武将、織田信長もその一人。
父親である織田信秀が亡くなった際、弟の信勝と家督争いをすることになり、信長は勝利する。
その際、柴田勝家を軍門に下している。
そしてこの柴田勝家は、軍事において大きな功績を挙げ、信長の躍進に大きく貢献することになるのだ。
これは一例としてあげたわけだが、勝者が敗者を従えるということは往々にしてありえるわけである。
戦で下した者を配下に加えることは、同業他社の優秀な社員をヘッドハンティングすることとよく似ている。
織田信長に関しては、良いものを取り入れるという性格であったために敵将を配下に加えるなんて事が出来たんだと思うわけだが。
「私は主人にしか仕えはせん」という主従の関係をとても大切にした武将もいただろうし、寝首をかかれないかとヒヤヒヤすると思うんだけど。
実際、外様大名には結構やられてて、「本能寺の変」の首謀者とされる明智光秀は、外様大名だ。
元々明智光秀は浪人だったので、少し今回の話の趣旨とは違ってしまうのだが。
第一次東洋水産戦争のおわり
スーパー、薬局、コンビニとどこに言っても見かける、赤いたぬき。
第一次東洋水産戦争がおわり、生み出されたハイブリッド。
おわりは、新たな始まりを意味する。今度は赤いたぬきは更に外を見ていかなければならないのだ。
そう、敵は海外。「マルちゃん国」
マルちゃん国要する「どん兵衛」との戦いが待っているのである。
現在赤いたぬきがどれだけ力を持っているのかを測り知ることはできない。
どん兵衛軍戦闘により、どのような結果を残す事ができるのか。
これは、おわりの始まりなのである。
おわり
やはり冴カノは面白かった
冴カノにはオタクの夢のシチュエーションが詰まっている。
僕が思春期真っ只中だったなら、なぜ二次元世界に入る事が出来ないのか激しく後悔した事だろう。
今だから冷静に見ていられるが、当時の事を考えると現実世界に帰ってくる事ができるはずがなかった。
それだけ夢が詰まっているのである。
一つは、可愛い幼馴染がいる。
しかもハーフの超お嬢様。そしてオタク趣味を共有する事ができる。
そもそも女性との接点がある時点で、夢のシチュエーションなのだ。
二つ目は、美人の先輩と話せる関係にある。
黒髪ロングの清楚系。巨乳。そしてオタク趣味を分かってくれる。
そもそも女性との接点がある時点で、現実的ではないのだ。
三つ目は、可愛い同級生が家に来る関係にある。
地味で目立たないけど可愛い。そしてオタク趣味に付き合ってくれる。
そもそも女性との接点がある時点で、奇跡なのである。
そう思っている時期が僕にもありました。
ラノベの主人公は不自然なまでに美少女たちとの関係を持つ事ができる。それは事実だ。物語の創造主である作者がそうしているんだから当然だ。
しかし物語とはいえ、キャラクターたちは思考し、葛藤し、どのような判断を下ろしていると思いたい。
主人公は彼女たちを揺さぶる。心の底から。
心を揺さぶられた彼女たちは、主人公に恋をする。
主人公の周りにはいろんな女の子がいるのをよく知っているから、本当に好きになって良いのか、好きになったなら、どうすれば独り占めする事ができるのか。
激しく攻めるか、したたかに攻めるのか。
自分の立ち位置ならば、主人公に好きになってもらえる事ができるのか。
ラブコメならば、ハーレムエンドは許されない。
みんな仲良くやって行こう、そのような幕引きをする訳にはいかない。
主人公は決断する。
誰を選ぶか。
好きになってもらうよりも難しい、大切な選択。
世の中には一つの摂理があって。
なぜか幼馴染と、お色気要員は選ばれない。
ぽっと出の女の子が持っていってしまうのだ。
冴カノのヒロインはすでに決まっている。
第一話の冒頭で勝利が約束されている。
物語の行く末を見守っていきたい。
おわり
僕たちに上司は選べないので理想の上司を考えた
会社員として仕事をする以上、上司というものは必ず存在する。
会社員とは組織に属する者。
社長でない限り、上司という存在がつきまとうことになるのだ。
今期は「わたし、定時で帰ります。」というドラマを放送している。
吉高由里子が演じる東山結衣が、WEB制作会社を舞台に複雑な人間関係を少しずつ解決していくという(ざっくり)ストーリーなのだが、その活躍をことごとく妨害してくるのがとんでも上司の福永清次なのである。
この福永清次、ユースケ・サンタマリアが演じているのだけれど、これまでの好印象を粉々にするまでの好演をしている。
素晴らしいほどにイライラさせてくれるのだ。
ドラマではあるが、見事なまでにイライラさせてくれるのだ。ここまでイライラできないよ、普通。
これはユースケ・サンタマリアの役者史上、最高傑作と言って良いし、ユースケ・サンタマリアの為にい用意された役であると言っても過言ではない。
ドラマを見ている人なら分かってくれるとは思うが、まだ見てない人は見て欲しい。
どこの話でも良い。1話でも見てくれれば分かってくれるだろう。
とまあ、ここに一つ「嫌な上司」の例をあげさせてもらったわけだが、物語だけではなく現実世界にも嫌な上司の一人や二人はいることだろう。
中には上司に恵まれている人はいると思う。
気が合わない人がいれば、気があう人がいるのは当然だ。それは幸運だということで、その職場で大いに力を発揮してくれれば会社の発展、果ては日本の発展に多いに貢献できるはずだ。
僕も会社員をしているので、当然上司がいる。
良い上司がいれば、嫌な上司もいる。
常に機嫌が悪く、何か理由をつけてすぐに怒る上司がいる。周りからも偏屈な人だと関わりを持ちたくないと思われているような人だ。
僕も(例外なく)しょっちゅう怒られている。
「おい、たいが。ちょっと来い。」
こう言われたが最後、しばらく説教が続くのだ。
それぞれの立場上、役職がある程度近くなければ関わることもなく、他に怒られている上司を見て「自分も怒られたらいやだなあ」なんて思っていたら、僕も昇進して関わりを持つようになった。
あーじゃない、こーじゃない。
なんで分からないんだ。
怒られ続ける。
いやはや恐ろしい。早く説教終わらないかな。
そう思っていた。
ある日、また呼び出しを受けた。
「また怒られるのか」と、身構える。
あーでもない、こーでもない。
ここはこうするんだ。
と。
「あーあ、また怒られた」
と、凹んでたところ。他の社員に話しかけられる。
「ここはいつもどうやってる?」
その社員は僕よりも少し先輩だった。
「ああ、それはですね・・・」と対応する。
「そうか。分かった、ありがとう」とお礼を言われた。
そこで、ふと気がついた。
「あれ、なんか仕事できるようになってねえか?」と。今まで、出来てなかった事ができるようになっている。
もし、あそこで怒られていなかったら、これは答えられなかったかもしれない。分からないままだったかもしれない。
めちゃくちゃ怒られて怖い思いしたけど、得られたものはあった。
怒られることは嫌だけど、ちゃんと教えてくれてたんだなと思った瞬間である。
ちゃんと良い方向へ持って行こうとしているのに、怒りすぎだから誰も関わらないようにしている。
なんか勿体無い。
せっかく人を育てる事が出来るのに、人が離れていくのではしょうがない。瞬間湯沸かし器のように熱くなってしまうのでは、下手に触ることはできないし触りたくないだろう。
それでも、学べることはたくさんあるのだ。
やはり理想の上司とは話しかけやすい人だ。
部下が自ら質問に来られるような上司でありたい。かといって舐められたりするのは嫌だけど。
舐められないけど、慕われていて、人材を育てられる人。
これ、教祖だな。
理想の上司、教祖。
完全教祖マニュアル、読もう。
おわり
フロイト先生でも答えられなかった疑問に挑む
妻と過ごす時間は楽しい。そして居心地が良い。
気楽に過ごす事ができるからだ。
しかし、世の中のお父さん達だけでなく、歴史的偉人達も苦痛に感じる発言をしている。
誤解を恐れずにいうと、相手の肩書きが「彼女」であれば簡単にお別れをする事ができるが、「妻」となると法的拘束力がかかる。
簡単に別れる事ができないのだ。
簡単に別れることはできないが、一緒にいなくてはならないとは、まさにこの世の地獄といえよう。
いやいや結婚する人はいなかっただろうと仮定すると、もともとは一緒にいて居心地が良かったはず。それでも苦痛を強いられる毎日になるというのはなぜか。
僕と妻との付き合いは長いが、そんな風に感じたことはない。
しかし、僕も同じ人間だ。人間の本能的な部分で違わないところがあるとすると、いつかはそんな風に感じてしまうときが来るのかもしれない。
そんな事態を回避する為に、今やっていることを残しておき、今の気持ちを思い出せるようにしようと思う。
妻とはいえ他人である
自分以外は他人ということを肝に命じておかなければなるまい。
以心伝心という言葉はあるけれど、妻に何がありどんな事を感じたのか、そこまで分かるはずがない。
伝わってくるのは喜怒哀楽の感情だけである。
女性は話し好きな人が多い印象だ。妻は口数の少ない方ではあるが、今日何がありどんなことを思ったのかずーっと話している。
僕はふんふん、そうなんだ、大変だったね・・・などと話を聞いているだけだ。
特にアドバイスや反論をせずに。
しかしこれが良いらしい。
妻にしてみれば「話を聞いてくれてありがとう」とのこと。話終わった後はすっきりした感じで自分のやりたいことを始めている。とても機嫌が良い。
僕にはよく分からなかったが、それだけで良いそうだ。
僕はふと、フロイト先生の発言を思い出す。
今までに私が答えることのできなかった…偉大なる疑問は…『女は何を欲しているんだ?』
まさにこれ。
妻は何を欲しているんだろうか。それがわかれば安泰間違いなしなのだ。
しかしながら分からないものはしょうがない。とりあえず機嫌が良くなるので、これは続けていくべきことなのだ。
共感を求めている
一つ確かに言えることは、女性は共感を求めているということ。
ヒドイことを言われたのなら、「ヒドイことを言われたね」。
ツラかったことを言われたなら、「辛かったね」。
女性はアドバイスを求めているわけではなく、自分の気持ちを分かってくれる人を求めている。決して否定したり、女性の気持ちに反することを言ってはいけない。
それは火に油を注ぐことになり、なぜか自分が悪者になってしまうから注意が必要だ。
男性はアドバイスをし、物事を解決する方に思考を働かせがちだという。
脳の仕組みがそのようになっている以上、アドバイスしたくなる気持ちをグッと抑え、話を聴き続ける事が重要だ。
アドバイスをしても意味はない。
アドバイスをしても意味はない。
アドバイスをしても意味はない。
三回唱えて会話に挑むべし。
彼女達もよく分かっていない
ここまで書いては来たが、ここで一つ重要なことを話そう。
身もふたもない話である。
実際のところ、女性自身、どうして欲しいのか分からない節があるということ。
急に怒り出したり、不機嫌になったり、理不尽なことを言ったり。
自分自身の矛盾に気付けていないらしい。
冷静になってみれば、「あれは理不尽だったな」なんて思うそうだが、その時点ではそのように気持ちを抑える事ができない。
男の忍耐力が問われる瞬間である。
それでも共にいきていく
幸い僕は妻と一緒に暮らしていて嫌だなと思うことはない。
それは妻の最大限の思いやりや心遣いがあるからだ。
たまたま僕のせいかいくが妻とマッチングしただけの可能性もあるが、結婚するひとたちはマッチングしたと「感じた」から結婚に踏み切ったわけである。
人ごとだと思わずに、思いやりを持って生きていきましょう。
おわり